夜空に夏の星座が輝きだすと、織姫と彦星を思い浮かべる人が多くなるのではないでしょうか。
七夕も江戸時代に定められた五節句のひとつです。
五節句は明治時代に廃止されましたが、私たちの生活に根強く残っており、今でも保育園や幼稚園、学校の行事で七夕飾りを作るようです。
また、街のお店や公共機関、金融機関などにも飾られています。子供たちが書いたと思われる短冊を見ると、素直な願いに心が温まります。
七夕の由来と意味について
現在の七夕の行事では、笹に願い事を書いた短冊や飾りを吊るし、飾ります。
この日は織姫と彦星が年に一度だけ会える日とされ、天気が気になる1日でもあります。
実は、昔と今では七夕の様子が違っていました。
では、七夕はどのようにして五節句のひとつになったのでしょうか。
七夕の由来や意味を歴史とともに見ていきましょう。
参考:五節句
・1月7日:人日(じんじつ)の節句
・3月3日:上巳(じょうし)の節句
・5月5日:端午(たんご)の節句
・7月7日:七夕(しちせき)の節句
・9月9日:重陽(ちょうよう)の節句
七夕が「たなばた」呼ばれるようになった由来
七夕は、中国の乞巧奠、中国の織姫と彦星の伝説、日本の棚機の3つが合わさり、江戸時代に庶民の行事として確立したとされています。
・乞巧奠(きこうでん):中国に乞巧奠という風習があります。織女星にあやかり、機織りや縫製の技術が上達するようにお祈りしていました。後に、機織りだけでなく書道や芸事の上達を祈るようになりました。
・織姫、彦星の伝説:中国では、織姫(琴座のベガ、織女星)は機織りや縫製を司り、彦星(鷲座のアルタイル、牽牛星)は農業を司る星とされていました。天の川を挟んだ2つの星は、旧暦の7月7日(現在の8月7日)頃に一番輝いて見えることから、織姫と彦星の伝説が生まれました。
・棚機(たなばた):日本には、棚機女(たなばたつめ)と呼ばれる選ばれた乙女が、水辺の機屋(はたや)にこもって神様に供える布を織るという神事がありました。その際に使われたのが棚機(たなばた)と呼ばれる織り機です。
後の時代に、この神事がお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになり、七夕(しちせき)を「たなばた」と読むように変化しました。これが七夕が「たなばた」と呼ばれる由来です。
現在の七夕の願い事の風習や方法はいつから?
さて、現在のように、七夕に願い事をする風習は、いつからあったのでしょうか?
七夕の願い事の風習について
笹の葉に短冊を飾って願い事をするようになったのは、江戸時代からです。
サトイモの葉に溜まった夜露で墨をすり、願い事を書いていました。
短冊を飾る笹は、古より生命力が強いことから神聖なものとされ、使われてきました。
そのような理由から、七夕の願いも、神聖な笹の葉に吊るすようになったと言われています。
七夕飾りに飾るものについて
七夕の歌に「五色の短冊」という一節があります。この「五色」は、中国の陰陽五行説にちなんでおり、「この世の全てのものの起源」と言われています。
・五色:青(緑)-木、赤-火、黄-土、白-金、黒-水
笹の葉には、短冊の他にも色とりどりの飾りが吊るされています。
代表的なものにはそれぞれ意味があり、知っておくと七夕飾りを作る際に役立つことがあるかもしれません。
- 吹き流し:織姫の織り糸を象徴するもの。
- 網飾り:豊年豊作、大漁を願う。
- 折り鶴:長寿を願う。
- 神衣(かみこ):縫製が上達するように願う。着るものに困らないという意味もある。
- 財布:金運上昇を願う。
- くずかご:清潔と節約を心がける。
七夕に食べる料理
七夕の料理というと、真っ先に思い浮かぶのはそうめんではないでしょうか。
暑い季節にぴったりのそうめんですが、実は七夕に食べるきちんとした意味があるのです。
古代中国で、帝の子供が7月7日に亡くなりました。
それ以来疫病が流行ったため、厄除けの願いを込めてその子供が好きだった索餅(さくべい)を供えたところ、疫病が収まったと言われています。
その言い伝えから、7月7日には無病息災を願って索餅を食べるようになりました。
ちなみに、索餅(さくべい)とは、唐代の中国から奈良時代に日本に伝わった唐菓子の1つで、素麺の祖となったとも言われている食品といわれています。
言い伝えが中国から日本に伝わった際に、日本ではそうめんを食べるようになったようです。
現代の日本では、そうめん以外にもちらし寿司やゼリーを加えると、見た目にも栄養的にも優れたメニューができあがります。
まとめ
・七夕の由来は乞巧奠、織姫と彦星の伝説、棚機。
・現在のような七夕の願い方は江戸時代から。
・七夕そうめんは中国の索餅が由来。
七夕の歴史に思いを馳せ、江戸時代から受け継がれてきた伝統の飾りを目にしながら家族で囲む食卓は、次世代に伝えたい素晴らしいものですね。
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