宮古島沖陸自ヘリ航空事故

庭田徹のフェイスブックから探る彼の人柄と功績「優秀な方だったのになぜ…」

宮古島沖陸自ヘリ航空事故

2023年4月6日陸上自衛隊のヘリコプターが消息を絶った事故がありました。死亡が確認された5人のうち、熊本市に司令部を置く第8師団の庭田徹(にわた・とおる)1等陸佐の身元が確認されました。庭田1佐は幕僚長であり第8師団の中核を担う幹部だったそうです。事故調査については公表されていませんが、庭田徹さんのfacebookが特定されたり、関係各所から様々な情報が集まってきました。

庭田徹さんのfacebook「娘さんとの写真が切ない」

庭田さんがフェイスブックに登録していたのかを検索しました。

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庭田徹(Toru Niwata)と書かれたページが出てきました。中身を確認したところ、勤務先に陸上自衛隊、出身校に防衛大学校やアメリカ海兵隊大学の名前がありました。また、報道されている出身校である八戸高校の名前もあるため、ご本人のフェイスブックで間違いないと思います。

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フェイスブックで公開されている情報はあまり良くありません。唯一掲載されているのはプロフィール用の写真。おそらく奥様が撮影されたでしょうか、ピンク色の浮き輪につかまっている娘さんを抱え、片手をあげて笑顔で映っている写真がありました。

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2013年に掲載された写真。娘さんは3、4歳といったところでしょうか。写真は十年前なので今は中学生か高校生でしょうか。お父さんは自衛官、役職もかなり上位の立場で、家から離れて暮らすことも多かったと思います。娘の成長を見届けることなくなくなられたことは同じ父親として非常に残念でなりません。

外国人とのやり取りからみる優秀さの証拠

Facebookでの唯一の投稿は、「I just open facebook account today.」という言葉のみ。投稿へ返信しているコメントはすべて外国人ばかり。コメントしている方のfacebookページを見ると、軍関係者や政府関係者に就いている方々。おそらく、アメリカ海兵隊大学時代の旧友と思われます。

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海兵隊とは陸・海・空の三方面からの攻撃を受けた際に、最初に戦闘に投入されることが多く、そのスピードと機動力、戦闘力が高いことから、「先陣を切るもの」として知られています。

海兵隊員は、リーダーシップと倫理的な価値観が重視され、厳しい訓練を受け、戦闘においては敵との遭遇や戦闘中のストレスにも耐えられるように鍛えられます。ですから、海兵隊は、アメリカ軍の中でも特に戦闘力が高く、アメリカ合衆国の国防の中核として、その役割を果たしています。

海兵隊大学は、アメリカ海兵隊の指揮官やリーダーを育成するための教育機関で、そのためのプログラムが設置されています。おそらく、日本の防衛省とアメリカの国防総省が交換留学協定かなにかで庭田さんは海兵隊大学へ留学されたのかと思われます。とはいえ、日本人がアメリカ海兵隊大学を卒業した場合、海兵隊員としての高い指導力や統率力、倫理的な判断力、および専門知識を備えたリーダーとして期待されるため、非常に優秀な人物だったと言えるでしょう。

庭田徹さんの顔画像「温和な表情の中に鋭いまなざしが優秀さを物語る」

陸上自衛隊での活動記録や、高田駐屯地時代の写真を中心に見つけた写真を掲載します。

優しい表情で活動している様子もありますが、調印式での優しい表情の中の鋭いまなざし、凛々しい軍服姿など、自衛隊の上官として優秀な方だったという雰囲気が伝わってきました。

庭田徹さんの経歴「幼いころから抱く自衛官への思い」

八戸市立北稜中学校時代

庭田さんは、八戸市立北陵中学校の出身。当時は野球部に所属していたそうです。

なんと、学校の近くには陸上自衛隊の八戸駐屯地があります。子供のころから自衛隊が身近にあった少年。もしかしたらご家族や関係者にも自衛隊員として任務にあたる方もいたかもしれません。このような環境であれば優秀な自衛官になるのも当然かもしれません。

八戸高校時代

庭田さんは、八戸高校時代にラグビー部で活躍。力強いタックルが持ち味で、県大会で準優勝した時のチームの主軸でした。同級生や指導者たちからも「常に声を出してみんなを鼓舞し、チームを引っ張るタイプだった」と評価されています。

庭田さんは、防衛大学校へ進学後もラグビーを続け自衛隊に入隊しました。同窓会でみんなと再会した際は自衛隊でも出世していたみたいでしたが「偉ぶる様子はなく人格者だなと感じた」と同級生に思わせるほど落ち着いた性格の方だったようです。

庭田さんを指導した高校の教員たちは、真面目で黙々と物事を進める一方、明るく周囲とよくコミュニケーションを取り、模範的な生徒だったと評価しています。また、庭田さんが自衛隊員として国を守っていたことに対して、先生たちも誇りに思っていたとともに、庭田さんが亡くなったことで、同級生や指導者たちは大きなショックを受けているようです。

大学時代

高校卒業後は防衛大学校に進学。大学でもラグビーを続けられたとのこと。

また、アメリカ海兵隊大学にも入学していたようです。自衛隊所属後の留学なのか、大学卒業後に入学したのかは不明です。アメリカ海兵隊大学への入学は、自衛隊員が海兵隊のリーダーシップや戦略的思考力、および海兵隊の文化や伝統について学び、日本の自衛隊の一員としてより優れた能力を持つことを目的としています。庭田さんはエリート自衛官としてアメリカで学び、優秀な自衛官としての能力を身に着つけた方であると考えられます。

自衛隊時代

庭田さんは東ティモールやイラクへの海外派遣や、統合幕僚監部防衛計画部防衛課付兼防衛政策局防衛政策課を経て、2019年3月に上越市の第5施設群長兼高田駐屯地司令に就任しました。

2019年3月23日付の人事では、

第5施設群長を命ずる兼ねて高田駐屯地司令を命ずる
(統合幕僚監部防衛計画部防衛課付兼防衛政策局防衛政策課)

とありました。

2021年3月には陸上幕僚監部運用支援・訓練部訓練課長となり、2023年3月30日付で熊本市にある第8師団司令部の幕僚長に就任したばかりでした。

2021年3月26日の人事では

陸上幕僚監部運用支援・訓練部訓練課長を命ずる
(第5施設群長兼高田駐屯地司令)

という記録もありました。

幕僚長は、師団長、副師団長に次ぐ師団の幹部。事故機のヘリに同乗し行方不明となっている坂本雄一師団長を支え、幕僚の取りまとめを担っていました。高田駐屯地指令時代は様々なところで庭田さんの活躍が記録されています。

2021年には大雪で被害を受けた上越市で災害支援をされていたり、高田駐屯地設立70周年記念式典で祝辞を述べていた姿も記録に残されています。

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高田駐屯地の公式twitterには、離任式の様子が投稿されていました。

2021年9月から11月にかけて行われた、陸上自衛隊の全部隊が参加した過去最大規模の演習「令和3年度陸上自衛隊演習(陸演)」では、主要な訓練・演習の計画を担当し、インタビューに答える姿も残されています。

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庭田さんの事故を知った世間の声

twitterには様々な悲しみの声が寄せられています。

中には、同じ中学校出身のユーザーで、中学時代の思い出を投稿している人もいました。

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